国語を教えるのは楽しい
数学は、文章題を教えるのが楽しい。
国語を数学の言葉に置き換えると、数学が解けるようになる。
そのこつを教える作業を続けると、点数が伸びる。
計算よりも、文章題を解けるようにするには、言葉と数式を対応させることが大切。
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必ずしも不幸ではない
常識がないとか、いわれるけど、わたしは元気です。
その場の、ルール、がわかればそれで良いから。わたしのすべてが否定されているわけじゃなくて、ただ、そのことだけを変えれば良いんだから、絶望なんてしない。
幽霊
それは、明け方の頃だった。
目をつぶるとそれは見える。
ひたひたと後ろに立っている。
茶色いダウンジャケットを着て、フードをかぶって立っている。後ろを振り向けば必ずいると知っている。
知っているけれど意地でも見ない。それは愛しい。
手の甲のラインも、唇の厚さも知っている。青白いほおの色も。乾いた髪の毛も。うつろな目も。
彼は死んでいる。
夜に星空を見た。そのときに、彼が死んだことを知った。
わたしの目から涙が落ちた。落ちて落ちて、声が出なかった。
声が出ないで息が詰まった。息が詰まって死ぬのかと思った。死ななかった。死んだのは彼だった。
会わなかった年月を思った。そんなものかとも思った。
会いに来てほしいと言われていた。だけど、会いにいかなかった。
死ぬことは知っていた。知っていたし、早いこともわかっていた。知っていて、何もしたくなかった。
そこはワンルームで押し入れもない一間だった。窓があって、小さなコンロがある。
彼が知っていた世界とは違う世界。乾いた都会。
春になるとハルジオンが咲いて、金色の芯をした花が風に揺れて、川が匂って、土が柔らかく真っ黒になって、お茶の木が芽吹いて、桜が咲いて、桃の花が咲いて、狂おしい気持ちになる。あの春を待たずに彼は死んだ。彼はそれまで暮らして、死ぬまでそこで暮らすつもりだったあの春と遠い場所で死んだ。
彼が死んだことよりも何よりもそれが悲しい。彼は、信じていたから。あの春、あの夏、あの秋、あの孤独な冬のある場所で生きて死ぬと、それ以外の場所があることも知らずにいたから。
彼は死んだ。死んで、体から自由になったから、わたしに会いに来た。
そして、わたしに触れる自由だけがない。
わたしは振り向きたい。
振り向けない。
彼がそこにいないから。
あの指もあの声もあの微笑みももうないから。
裁く、ものの、ない。世界
月、帰りたい、と願い歩く
風が不穏を孕んで
鳥の群れが渦を巻いて空を覆って
裁く、ものの、ない。世界
月、帰れない、と願い歩く
夜が不穏を孕んで
星の群れが渦を巻いて空を覆って
裁く、ものの、ない。世界
わたしは、ひとり、歩き、歩いて、
裁く、ものの、ない。世界
歩いても、歩いても、歩いても。
裁く、ものの、ない。世界
寒さは明け方に温んで、光とともに冷え込んでいく
青い光がわたしを刺し殺して、
新しいわたしを産む
裁く、ものの、ない。世界に
走って、飛んで、空を高く、わたしは
凍って、遠く、光る。
世界は、広くて、狭くて、わたしは窒息して、息を吸って、吐いて、
手を伸ばすと、触れる、
輪郭、それは
わたしを
裁かない/世界
BL特集の雑誌を読んだら、BLが載っていたので激おこした人について
悪口なんで、読みたくない人は読まないでください。
言いましたよ。ちゃんと!
これは、驚いたことです。
どうも状況証拠としては、美術手帳に載っているBL特集を見た、と言うことらしいのですが。
性的な感情を喚起するものを作っているのは、圧倒的にヘテロの男性が自分たちのためにやっている世の中だと思う。わたしはBLをあえて避けることもないし、読みますが、自然にBLが広告に使われていたことを見たことがない。高氏は日常的にBLの広告に触れていて、いやになるほど見せつけられているのでしょうか。断言はできませんが、されていないと思います。
すべての表現媒体から、自分の好きじゃないものをなくせ、っていうのは暴論だと思うんですけど、特集も許せないんだったら、現実的にはそういうことしかできない。
神様かよ!とつっこんでしまった。
すんげーわがまま。
公共の利益は、バランス取るって意味なんです。
権利侵害と、権利の実行のバランスって言うのは、あって、表現の自由は、基本的人権です。
広告にするのと全然違う。
女性の性的アイデンティティの一面を、表現したときに、商業目的の広告のエロと同列に扱う神経が困ったものです。
わたしは、裸体に近い女性が商品を広告している姿を見ることもあるし、雑誌の表紙を支えていることもよく見るけれど、男性の裸体に近い様子の人が、商品を宣伝しているところはあまり見たことがない。
別に裸体を見るのは嫌いじゃないけど、だったら、男性の裸体も増えたら良いじゃんか、と思う。
でも、それはできないんだよねー?
それは権力構造の不均衡があるからなんじゃないでしょうか。
な、マジョリティ男性!肩ポン。
雑誌の特集と広告を同列に書く、ということは、ミスリードを誘っている。
雑誌は買わないと読めない。何が載っているか明示もされている。
広告はそうではない。環境的だ。
構造的にも、社会的権力差の大きい状況で、男性と女性について叩く割合がフィフティフィフティになっていたら、それは平等じゃなくて、不公正だ。
なぜならば、表現の場を握っているのは、圧倒的多数が男性だから。
広告に男性向けエロが載っていることと、BL特集を雑誌が組むことが、等価に見える人に届ける言葉は難しい。後者は表現の自由の問題になる。誰でも見られる状況じゃないんだし、その状況を選んだ本人の責任が無にされている。自分の意志と行動と選択にもっと矜持を持ったら良いと思う。
広告を見るかどうかについては、私たちは、意思も行動も選択をすることができない。
それは、男性でも、女性でもそうだ。
だから、
このことについては、共感できる一面もあるけれど、文脈を追うと「腐女子」が高さんを攻撃している、けれど、それは非生産的だ、ということを言っている、とわたしは判断するのだけれど、これは、まったく、女性たたきの文脈だ。
翻訳すると「本来、女性と男性が共闘できるはずの場面で、中立のはずの俺を叩くことで、京都で着なくなる。損な選択をできない『腐女子』は愚かである。
ということになる。
女性対男性の流れにしているのは、高氏本人だ。
わたしは、男性じゃなくて、現在高氏をおかしいと思っている。
女性対男性の構造にしていない。
批判を、男性対女性の性的搾取の争いだと受け取るのは自由だけれど、それは、人格を疑われるだけだ。つまり、わたしが人格を疑った、ということだ。
素直に読めば、わたしが知っている限りでは、BL特集を読めばBLが載っているのは当たり前だから、それについて、見ないで済むようにしてほしいと言うのは傲慢だ、という批判が多いようだった。
だめなんか、と書いてあるから、答えると、だめだと思う。
主張するのは良い。個々の主張の内容は正しい。でも、この人の状況を考えると、まったく適切ではない。
自分を正当化するための防御を固めているだけの発言に見える。
男性の方が、権力を持っている。高氏のいる、アカデミアの世界でも、男性の方が多かったのではないだろうか。東京大学でも、女性よりも男性の割合の方が多かったのではないか。
学問の場でも、政治の場でも、女性の人数は少ない。
人数が少ない、ということは、意見が通る可能性も少ない、ということだ。
もし、性的搾取や、性的言及に数多くの男性がいるのだったら、女性に共闘を呼びかけるよりも先に、男性が自分自身で立ち上がってほしい。
権力構造、社会的構造の差を無視して、共闘を呼びかけるのは、甘えであり、女性への皮肉であり、攻撃だ。
女性たちは、選挙権のない時代から、人権もなく、男性の財産として定義されていた時代から、ずっと戦い続けて、法律上だけでも、平等に近い状況を手に入れたのだから、本気になっていただければ、それは、実現できるはずだ。
わたしは、彼に共闘することはあり得ないが、彼の志が本当ならば、それをやり遂げてくれることを、わたしのために願っている。
そのため、状況をふまえた発言については、カムチャッカファイヤーであるが、文字通りの意味をとらえると、発言通り、実行してほしいと切に願う。ぜひとも、男性が立ち上がって、広告からエロをなくしてほしい。女性が、エロをなくしてほしいと立ち上がるよりも、実現が早いだろう。
これから、ひどいことを書く。
宣言したので、読まなくてもいいのだけれど、
男性の中には、頭が良いのに、ジェンダーや、女性問題や、セックスの問題になると、とたんに頭が悪くなる人たちがいる。
理屈が通らない。
困ったものだ。
追記
公然と性的なものを見せびらかしてるのは男だと思うんだが。
(わたしは男嫌いだからよけいそう思うんかもしれん)
そんで、自分がBL特集を読んだことを伏せて書いているのがえげつないと思う。
書かれるのが男性だろうが女性だろうが、避けられるようにしてほしい、という相手先だったら、男性でもあり女性でもそうでない人々に対して言うのが本当であって、腐女子にだけリクエストするのは、おかしいと思う。きちんと、相手先を開いて言えば、「腐女子ヘイト」だとは誰も思わないと思うけど、そうじゃないから腐女子だけ攻撃していると思われてるんじゃないかな。
ここで、悪い男女平等が出ていますね。
わたしは賢いけどバカな部分もあって、まあ、バカだけどこれはわかる。
高氏が、思ったり思わなかったりしていても、現実問題として、性的に男性を空想上でもてあそぶ人はいるし、同じようにわたしがいやだったりいやじゃなくても、性的に女性を空想上でも現実的にも性的にもてあそんでいる人がいるんだよなあと思う。
避けたい人を避けさせてくれない腐女子、ってあったことがないけれど、避けたいセクハラから助けてくれた男性も見たことがないし、寡聞にして聞いたことがないし、わたしにセクハラした人は、だいたい、男性が多いですね。だから、男女のどっちなら良い、って話ではないと簡単に言えちゃう高さんがうらやましくもあります。(本当はうらやましくない)(嫌み)
あれやね、立場やね。
自分の優位なお立場を知っているのか知っていないのか、わたしにはわからんが、お立場を振りかざしているように下々のものは思うね。
BLねえ、エロがあるのもあるけれど、恋愛、ってのもあって。ヘテロ的漫画にも恋愛ってあるよね。それって、別に緊縛と同じジャンルだと思ったことがないんだけど。
セックスシーンがあるからと言って、エロとも限らないし。そこのところ、どうでしょう。
芸術とか表現とか、幅が広いと思うし、男性同士の恋愛を描いていても、BLに分類されない漫画もあるようですよ。わたしの乏しい知識で言うと。
あと、女性がBL好きです、っていうと、政治的主張の意味合いを含んでいることもあるね。
女性は性的に抑圧されているから。政治的な話でもあるのだ。
そんで、これは、関係ないのだけれど、不倫は法律違反だけどネットでであった人とセックスするのは何一つ悪くないのではないだろうか。これって偏見だよね?
どうでもいいなら、書かなければ良いと思うし、友人にもわたしだったら、何も言わない。
道徳以外で何か言えるとしたら、それは神様のような視点を持っているからだと、思った。
道徳って、自分が神様じゃないと知っているから言えることじゃないかな。
やだったら、やだで良いと思う。
びっくりした、って書けば良いのに、取り繕うために、人を巻き添えにしている感じが気に食わなかった。
巻き添えにされたものには、わたしが大事にしているものだったり、なんだったりがあって、そういうのを言い訳みたいなもののために消耗させられるのはいやだなあと思った。
失職女子を読んで
失職女子を読んで、いろんなことを思い出した。
わたしは、一度、生活保護を受けた。
わたしはよんどころない事情で、逃げていた。誰にも居場所を知らせることはできなかった。相手の人は、わたしをかくまってくれた人の家に火をつけると言っていた。殺してやるとも言っていた。居場所がばれるわけにはいかなかった。
わたしは逃げていたけれども、お金をとられてなくしていた。
市役所に行って、婦人施設に入った。
そのときに、本当に手持ちに持っているお金をすべて申請して、そして、入ることの条件のひとつに、生活保護に入ることがあった。みんな笑顔で、わたしの決断を待っていた。結論は出ていた。それでも、わたしはあれこれ、確認をした。もしかして、わたしに財産があったら、どうしますか、どうすればいいですか、わたしには、今何もわからないです。
「何も考えなくてもいいです。心配いらないです。今まで気を張って来たのだから、任せてみるのもいいものですよ」と職員さんは言った。
それは、あのときと同じ台詞だった。任せていいのだろうか。わたしは、人に自分の人生を預けることで、何度も失敗をして、そして、その結果、この場所にいるのだった。
めまいがした。ぐるぐると応接室の景色が回った。はんこを押すときには息が止まった。
わたしはかりそめの名前を名乗りながら暮らした。生活のためにはお金がかかる。わたしは、そのとき働けない状況だった。健康状態を調べるためにも、お金がかかる。食べるものにもお金がかかる。わたしは、そういうことを知った。
なんとなく、お金があったわけじゃなかった。
わたしはお金の管理をするからと言われて、すべてを手放した。PTSDに襲われていたから、判断力がなかった。
そのせいで、わたしは名前を失い、はんこを押すことになった。
わたしは、回復する途中で、あのときのやりとりを何度も何度も思い出しながら、吐いた。いつも吐き気がしていた。
働くようになるまで、半年かかった。わたしが生活保護を受けていたのは、たった、一週間たらずのことだった。実際にお金には触っていない。失職女子に書いてあることは全部知っていた。だから、ショックはなかった。
わたしは、あのとき、死んでもおかしかった。何度も死ぬ夢を見た。わたしは名前さえ失った。
自分の名前を取り戻す戦いは長くかかった。
周りを巻き込んで、つらい思いをさせて、わたしは、わがままに生きている。
生きてほしいと願ってくれた人がいたことを忘れないでいる。
市役所のひとたちは、親切だった。親身になってもらった。
公務員は素晴らしい仕事をしている。わたしはあのとき、助けてもらわなかったら、命がなかった。
フラットな気持ちになるために化粧を習う
自分の顔にコンプレックスがあった。
あごが出ていたから中学生のときに「しゃくれ」と呼ばれた。
歯医者に行って、見てもらったら、日本人の標準より一センチ大きいけれど、欧米人からすると標準だから、外国風の顔だと思えば良いですよ、と言われた。
わたしは、人生に行き詰まったときに、整形しようと考えた。整形しさえすれば、人生がうまくいくと思ったからだ。
毎日、美容整形のサイトを巡回した。リスクが高かった。顔面が麻痺することもあり得たし、色素沈着もますます濃くなることもあり得た。
それでも、わたしは今の自分を変えたかった。メイクではいやだった。メイクは嫌いだった。毎日して、落とすのはだましているみたいで、かりそめのものだと思った。
わたしは、誕生日を迎えて、仕事がうまくいくようになっていた。信頼もされるようになって、生徒からお中元で商品券をもらった。認められた気がした。
わたしは、メイクレッスンを受けることにした。
メイクレッスンでは技術を学ぶつもりだった。
メイクレッスンでは鏡を見る。
わたしは、きちんと鏡を見たことがないことに気づいた。
いつも、自分が欠点だと思っていた、部分だけ見ていたから、全体が見えていなかった。
わたしは顔が長くて、あごが出ていて、目が小さくて、鼻が低いのだと思っていた。
だけど、顔は短くて、えらは張っている四角い顔で、目が大きくて、中心に集まっている顔だと言うことがわかった。
特徴がわかれば、それをみがけば良かった。
そうしたら、わざわざ、わたしの欠点を注目する人なんていない。
一番良かったのは、美容部員に「遠目から見て素敵だったら、化粧はそれでいい」と言われたことだった。誰も、至近距離で顔なんて見ない。色素沈着も、顔の凹凸も、毛穴も見ない。なんとなくの雰囲気を見ているのだ。
メイクレッスンは、営業もキツかった。でも、それでも、技術を学ぶことは面白かった。絵を描くのだ。自分の思うイメージに絵を描くのだ。そのためには、部品は関係がない。雰囲気には、色使いや色の淡さの方が影響する。顔の位置は、色の載せ方でいくらでも変化する。自分の顔なんてあってないようなものだった。いつでも、好きな顔に変えられる。その自由度をメイクレッスンで得たのだと思った。可愛くも慣れるしクールにもなれる。わたしの造作は変わらなくても、顔のイメージはいくらでも変えられる。大事なのはイメージだ。わたしは美しくなくても良い。そう思う。
欠点だと思ってみないようにしていた顔を、まっすぐ見た。お世辞抜きで見た。悪くなかった。それどころか、演出の仕方でいくらでも変化する、単なる素材だった。気の持ちようだった。天気みたいなものだった。晴れた日がいいわけでもないように、雨の日が悪いようでもなかった。わたしの顔は、単なる顔だった。それだけの意味しか持たなかった。化粧は、それに意味をつける作業だった。
わたしは自分をコントロールできると思った。それは嬉しかった。
自分の意志で、外見をコントロールできる。
ちぐはぐだった、服装や、化粧のバランスをとることができそうだと思った。そのためのアドバイスはプロから得れば良い。
わたしが位置から勉強する手間はいらない。お金を払えば、そういうサービスがある。
顔の造作よりも、大切なのは、肌の色合いと、顔の造作の位置のバランスだ。それ自体に美醜はない。美醜はあったとしても、芸能人のように、美しさを売り物にする人と同じように考えてはいけない。自分の雰囲気の方向をコントロールすることができれば、ほどほどの容姿で良い。
大事なのはイメージをコントロールすることだ。自分のイメージをコントロールする技術があれば、素材はどうでも良い。素材の持ち味を生かしながら、イメージや雰囲気をコントロールすること。それは、対人関係につながる。
わたしは、対人関係が苦手だ。外見をコントロールすることは、対人関係をコントロールすることの入り口だ。
人は私に接するときに、外見を見る。雰囲気をそこからおしはかる。だから、わたしは自分の服装を、自分の好ましいようにしつつ、相手をコントロールする手段と技術を持っていてもいいわけだ。
わたしは自分の顔を見にくいとも美しいとも思わずにフラットに見ることができた。それにはお金をかける価値があった。
わたしは鏡を見るためにお金を払った。
悲鳴を上げるように
悲鳴を上げるように、通販で服を買っている。
わたしはもう、自分自身を脱ぎ捨てたい。脱ぎ捨てられないから服を買う。
わたしは昔着ていたサイズの服が着られない。
もう、おしゃれをしないでいるのは耐えられない。わたしはこの前まで、フリフリした服を着ていたが、今度はシンプルで、さっぱりした、服が着たくなった。
お金はどんどんなくなる。焦る。でも、わたしは服が欲しい。
お香を焚く。お風呂に入る。フィットネスクラブに行く。自分をケアする。マッサージに行く。めまぐるしい。
フラッシュバックが起きる。止まらない。眠らない。
過活動なのはわかっている。わかっているけれど、わたしは止まらない。
死ぬことは考えないようになった。わたしは生き生きしているが、それと同時に疲れ果てている。
疲れた体を引きずって、人に会う。
新しいことをどんどん知っていく。世界が広がっていく。広がる世界は虚しいものではない。
輝いていて、わたしを抱擁する。
わたしは駆け出すように、働いて、お金を稼いで、同じ額を使い果たす。
貯金はしたくない。したくないのだ。したくないけれど、した方が良いと言われたのでする。
だけれども、服を買って、化粧品を買って、マッサージに行くと足りなくなるから、貯金でよけていた分をまたおろして使う。
おなかがすく。いつもおなかがすいている。味なんてわからないまま食べるときがある。夜中に、朝に、昼に。
カボチャを食べる。カボチャは優しい。栄養があるような気がする。蒸してマッシュする。それだけで、何かしたような気がして満足だ。
痩せたいために、ごはんを一切炊かないで一ヶ月過ごした。やはり、生活は荒れた。おなかはすく。たべたくないのに。仕事終わりにコンビニに行くと、コンビニにあるものを全部食べ尽くしたいと思う。刺激的なラッピングの色彩に頭がくらくらして判断力を失う。
わたしは誰なんだろう。どこに行くんだろう。そんな問いはどこに行ったんだろう。
わたしはただ食べて、頭の中を、真っ白にしたい。真っ白になる、体が温まる、代償に体重が増えて、体が重くなる。シルエットが変わって、わたしは惨めになる。
頭の中を真っ白にして、天国に行ったその後には、惨めな日常が待っていて、わたしはダイエットをしたいと思って、闇雲に空腹でいる。空腹なのに太っていく。味なんてどうでも良いから、熱くて、こってりして、おなかが満ちるものが食べたい。
わたしを素敵にするもの、洋服、居心地が良いもの、障り心地が良いもの。わたしを締め付けないもの。自由にするもの。そんなものが欲しくて、ネットの中に夢を見る。届く頃には忘れている。だけど、ネットの中でさまよう。現実なのはお金が減っていくことだ。それを補うように働く。そして、疲れ果てる。その繰り返し。
わたしはこの経験が必要だ。この経験がしたい。この不毛なサイクルにはまりたい。焦燥感だけじゃない、必要な過激さが、わたしを駆り立てる。
わたしが止まるまで、満足するまで、欲望の果てが見えるまで、わたしは、悲鳴を上げるように、食べて、買って、身につける。
新しい名前で
わたしは愚鈍な生き物で、その言葉をやすやすと信じた。
「付き合ってくれなければ僕は死ぬ」と言われたので、信じた。自分ひとりが我慢するだけで、人が死なずに済むのならばそれは試してみる価値があるだろう。
その選択は誤りだった。その人はわたしをあらゆる人と比べた。「あの女性に比べて君はダメだ」と彼は言った。
わたしはそれは違うと言った。
わたしが、違うと言うたびに、彼は薬を飲み首を吊ろうとし、それらはいつも失敗するのだった。
ある日彼は体を求めて来た。
わたしは断った。
次の日彼は、首つりの相談をして来た。
「わたしは苦しい」と言って泣いた。怒鳴りつけられた。
わたしは逃げ出すことができなくなっていた。こんな惨めな話を誰にできるだろう。
わたしはまだ幼かった。付き合うと言う言葉の意味も知らなかったし、セックスを具体的に知らなかった。セックスという言葉も知らなかった。
ある日彼は、死ぬと言って受話器をおろした。わたしは、自転車で探しにいった。彼はもう何処にもいなくて、そしてパトカーが来た。わたしは底に同行して、病院に連れて行かれた。わたしは、管だらけになって胃洗浄をしている彼を見た。
わたしは失敗したと思った。そして泣いた。
彼に対して関心はなかった。
好きでも嫌いでもなかった、嫌悪していた。
嫌悪していたが、死なれるのは困った。
人が死ぬのが耐えられなかった。
「お前のせいで、おれは死ぬのだ」という呪詛に絡めとられていた。
わたしは自分を守るべきだった。
そいつは死ねば良かった。
わたしが水野と呼ばれるようになったのはそれが始まりだった。
わたしは自分の境界をなくして、わたしは人に尽くすようになる、そして、人形を壊すよりももっと無思慮に壊される。
わたしは、そのことをあのときに知らなかった。
わたしは語る。コントロールできない怒りと、悲しみと苦しみを語る。わたし自身に感じているあらゆる嵐のような出来事を。
それは出来事なのだ。
単なる感情ではない。わたしの旅だ。
わたしは殺されそうになり、一度死に、甦るために、ひとつひとつ呪術を行っている。
わたしは呪詛を吐き、そして、笑い、遊び、怒り、楽しみ、あらゆることをして人間になろうとする。
自分の感覚を取り戻すために、わたしは語る。
社会への、人間への信頼を取り戻すために、わたしは語る。
ああ、わたしはけっしてやめはしない。わたしは今では笑う、泣きもする、泣いて笑って生きている。死なずに生きているだけでも何か成し遂げているだろう。わたしはけして自分で死なない。笑うから、平気そうだから、幸せそうだから、わたしの傷は消えたわけじゃない。だれもわたしを裁けない。わたしは自分の傷から回復する。そして生きる。
「頭蓋骨を割られたんだよ、それでも」
「頭蓋骨を割られたんだよ、それでも」
と彼女は区切った。
わたしは水野と呼ばれていた。その名前は新しく選んだもので、ここではそう呼ばれる。だれもお互いの古い名前を知らない。
「それでも、わたしは逃げなかったんだよ、だけどね」
と彼女はまた言葉を切った。テレビで朝のニュースが流れる。
「あれがだんなだったらね」と、みんながうなづく。自動車に引きずられる何かの映像。罵声。
「子どもの自動車をね、あの男がぼこぼこに壊したんだよ」
もこみちが塩を振る。
「あれがだんなだったらね」誰かがキャーと言う。
「料理ができて。仕事をして、男前で!」
「男前はいらないから、仕事しててなぐんないならいいよ」
「男前ならもっといい!」「あんな、料理も何でもできる男がいるんだなあ」
「警察を呼んでね、それで、わたしの自動車だったらまだ我慢できた。だって、わたしのだものね、わたしの頭蓋骨だって、まだがまんできた、でも、子どものものをなんてね、あれはあの子のものなんだよ」と痩せて、目の周りを黒くして、顔色が土気色の彼女が言った。
わたしの手はぶるぶると震えていて、箸をうまく握れない。
「ああ。緊張しているの。すぐ慣れるから。ここは怖くないから。だれも殴る人なんていないし、大声を出すひともいない」
「はい」
と、わたしは微笑もうとするが、涙がこぼれて下を向く。
「大丈夫」
「はい」
わたしはまたうなづく。もこみちが料理の説明をする。女たちが笑う。
「ああ、おいしそうだねえ、あんなものを一度食べてみたいものだ」口々に言い合う。
わたしはどんぶりを手に取るが、うまくつかめない。箸でごはんをつかめない。
「どういうところにいたの」「狭かったんです。とても」
赤ん坊が笑う。子どもが笑う。母親が外国のなまりであやす。女たちが笑う。手を叩く。ビーチボールがはねる。
「とって」と、褐色の子どもが駆け寄る。髪は縮れていて、目はカフェオレのような色をしている。
わたしは箸を置いて、ボールを拾う。そっと投げる。こどもは、それを受け取れずに一度落としてから拾い上げる。白いビニール製の床。偽物のタイル。大きな鍋に入ったみそ汁。大きな炊飯器。わたしの正面には小さなキッチンがあって、麦茶を湧かす大きな夜間がある。左側に流しがあって、食器棚がある。女たちが、洗った食器をしまっていく。
わたしはまだ食べ終わらない。子どもたちがふりかけをかけたごはんに顔をしかめながら、カレーが食べたいと言っている。しばらくないよ、と、髪がくるくると渦を巻いた女性が言う。腕の中には赤ん坊がいる。「おー、よしよし。おばちゃんがおにぎり作ってあげよう」と金髪の女性が言う。腕まくりをする。手を洗う。サランラップにごはんを移す。あつあつ、と言いながら握る。
今日は、酢の物と、魚の煮たものと、お味噌汁がある。うまく箸でつかめないが、少しずつ食べる。
もこみちがいなくなる。ニュースが終わる。女たちがばらばらといなくなる。
「どうしてここにくるようになったの」
と、金髪の女性が聞く。
「ここでは身の上話をしては行けない決まりだから、…言う必要もないけど。みんな少しずつ話しているんだよ。だから…話したかったらなんだけど」と金髪の女性がたたみかける。
わたしは目から涙をこぼす。話せることは何もない。